ツボンヌへの道 その2 健康になりたい!
病気自慢の話をさせてくれ。
あたしゃ悪いが小病ルミ子か!?
(小柳ルミ子に引っかけたんだよ、すまんね、おもろくなくて)
と思うほど、体の調子がわっるいのだ。
45歳前くらいだろうか。
体のアチコチにガタがきている感じがした。
病気ではないんだが、病気未満の未病という感じだ。
元々、そんなに体力がある方ではないのだが
(ホレ、運動嫌いで1歩も動かないから)、
寝込むほどのことはなく、まあ普通に「健康状態は良好です」
といった具合だったのだが、何かがおかしい。
子宮腺筋症による生理痛の激しさ、貧血(これは10代から)、
これに慢性肩こり、腰痛が加わっていたのは30代からなのであるが、
45歳の声を聞くくらいから
爆発的に色んなところにガタがきていると自覚し始めたのだ。
まず、健康診断で不整脈が見つかる。
別に今すぐどうのこうのという問題はないのだが、
自分では「心臓だけは丈夫!」と勝手に思い込んでいたのでショックだった。
それから流行り目の後遺症である角膜混濁になり、
ついにはご丁寧に白内障ということまでご指摘を受けている。
「40代なのに白内障!?」
爺さん、婆さんの病気かと思っていただけにかなりのダメージだった。
まあ、冷静になれば昭和22年までは日本は人生50年だったわけだから、
晩年に差し掛かっているには違いないのかもしれない。
しかし、こういう宣告は確実に老いているような気持ちになる。
そして、これらに加えて今も全く完治していない偏頭痛が始まった。
アタシの場合、緊張型偏頭痛といわゆる普通の偏頭痛が混じった混合型
というタイプで「治しにくい」ものなんだそうだ。
それは朝起きた瞬間から始まり、本格的な頭痛になりそうなときに
頓服薬の服用タイミングを逃すとゲロゲロ吐き出し、
しばらくは使いものにならないというもので、
いつ始まり、何が原因なのかも全然わからない。
しかも毎日のように鈍痛がする。
普通にしゃべれるし、動けるし、仕事も出来るのであるが、
起きている限りは常に鈍痛がする毎日に辟易していたのだ。
片頭痛のお医者さんはこう言う。
「婆さんになっても偏頭痛って人はいないから、婆さんになるのを楽しみに待て!」
待てるか!ンなもん!!と腹の中で思うが、
医者に怒っても治らないものは治らない。
更にお医者さんはこう言う。
「これね鬱病と夜尿症に効く薬なんだけど、
片頭痛にも効くから、これと、片頭痛薬と胃薬、毎日、予防薬として飲んでね」
フン、幼児じゃないんだから尿漏れはしても、おねしょなんかしねっつーの
と文句を垂れているが、
症状がひどいので薬に頼らざるを得ない暮らしになってしまった。
「先生、過食が止まらないっていうか、食欲があって、
すごく食べちゃうんですが、これが鬱なんですね?ね?
もう、この際、鬱って言ってください!デブになる理由が知りたい!」
医者はこう言って大笑いをした。
「偏頭痛よりデブのが気になるの?
鬱にそんな(阿呆なことを言う)人はいません(きっぱり)」
それでも、片頭痛持ちはいつも軽い頭痛に晒されているせいか、
気分が良いとここぞとばかり一気に食べる傾向はあるようで、
食べていると頭痛を忘れるので、太りやすいというような話をしてくれた。
同じように眠ってしまえば頭痛から解放されるので、
それもあって眠気が襲うのかもしれないという。
うわ~、過食と惰眠を貪るデブは片頭痛のせいかい!?
まあ、理由がわかった(のか!?)だけマシなのであるが、
どげんかせんことにはドンドンおかしくなるということだけはわかった。
40代のアタシの生活はハチャメチャだった。
自分で書いた本を店頭に並べてもらえるということは
本当にありがたいことなのであるが、
締め切りを持って書くという作業が地獄のように辛いということを知らなかったのだ。
一文字も書けないときは書けない。書けないったら書けない。
なーーーーーんも思い浮かばない。
編集者にどんなに呪われようとも書けないものは書けないのだ。
しかし、書けるときには文章の神様が降りて来たごとくの快感が走り、
夜中だろうと、何時間でもぶっ続けに書くことが出来る。
不規則極まりなく、全く眠らない日があったかと思えば、
冬眠してんのか!?っていうくらい眠る日もあり、体に悪いことこの上ない。
特にひどいのは食生活だった。
なーーーんも食べないときもあるかと思えば、
なーーーんのアイデアも出ないときには口寂しさから、常に何かを頬張っている。
それは朝だろうが、昼だろうが、夜だろうが、
カロリーが高かろうが、何のためらいもなく、
苛立ちを埋めるかのように口に食べ物を運んでいた。
そして、家族と常に食卓を共にしたため、
娘と一緒に食べる、更に次に帰って来た息子と一緒に食べる、
更に更に最後に帰って来たダンナと一緒に食べるという具合に
夕食だけでも3回ご相伴に預かる(しかも毎回、美味しく頂く)。
更に更に更に恐ろしいことに、
この後、必ず「家族のお茶の時間」というものを設け、お茶菓子を貪る。
「パーティ開けしようね♪」と言いながらポテチの袋を観音開きにして、
奪われてなるものかという程、油の乗ったブツを口に運んでいた。
その時刻、22時は軽く過ぎていたと思う。
自分では自分の姿が見えないため、家族が太っていない、
むしろ痩せているという状態に
自分もそうだろうくらいの感覚でいたのだ。
奴らは日頃、動いているということをすっかり忘れていた。
その内に何をやるにもおっくうで、けだるくなってくる。
つまりなーーーんにもしたくないという病気に侵され始めたのだ。
ドンドン、デブるから未病がドンドン押し寄せるのか、
未病がいっぱいだからデブるのか、
最早、ニワトリと卵の状態なんであるが、
何かがとり付いているかのごとく調子が悪くなっていった。
その頃からだ。46歳くらいから占い師行脚を始めた。
西に良い占い師さんがいると聞けば馳せ参じ、
東こそ当たると聞けば走って(注:車で)行った。
なんで「占い」だったのかは謎なんであるが、目に見えない何かが不安で、
将来に対する漠然とした不安で、
何か自分にとって良いことを言ってくれる人を求めたんだと思う。
担当編集者とも一度一緒に行ったことがある。
そのときはアタシの手を見るなり占いのオバちゃんが
「あら、あなた!可哀そうね~、辛かったでしょう?」と言うので
「やっと解ってくれる人が現れた!」と思い、
アタシの長きに渡る偏頭痛の歴史を紐解いてやろうか!?
と思った途端にこう言われた。
「ご両親とは生き別れ。離婚は何回?」
担当編集者が涙を流して笑っていた。
そんなことにはちっともメゲズ、アタシの占いブームは留まるところを知らなかった。
ついに日本を諦め、世界に羽ばたく。
わざわざ占いだけのために台湾に出掛けたのである。
台湾の良く当たるという占い師はこう言った。
「明るい気のところに居なさい。暗い話も聞いてはいけない、
暗い小説も読まない、暗い映画は見ない。
自分の周りを明るい気で包まなければダメよ。
あなたは幸せ!あなたは幸せなのよ。
現実になっていない不安に怯えていてはいけない!」
40代から先は見えない不安との戦いなのかもしれない。
子どもも育ち上がっているとは言えず、
自分の食いぶちくらいは何とか稼げるような一人前に育つという保証は何もない。
親は親で坂道を転がり降りるように老いていく。
丈夫な父が、そして永遠に生き続けそうだった100歳の祖母が
実際に死んでしまうなんて信じられなかった。
人には限りがあるのだということが事実なのだ。
残された老母の孤独や不安がわかっていても寄り添えきれない己の生活もあり、
そのジレンマに悩み出す。
そして己の老後と健康。
お姑が口癖のように言う「健康さえあれば何もいらんでね。
これだけは代わってやることができん」という意味が
段々と現実味を帯びて解ってきたのだ。
新刊本の校了が終わった直後、アタシは何故だか強烈にこう思っちゃったのだ。
「アタシは健康でいなければいけない」
30分ジムの計測が終わった。
「体重67.95キロ、体脂肪38.3%、体年齢 58歳」
体年齢58って、58って!?
この見るも無残な結果に打ちのめされたアタシは
夢遊病者のようにツボンヌ先生のところに電話をかけた。
ランキングに参加しています。よろしかったらポチッとお願いします。



